誰もが一度は手にしたことがあるシルエットの美しい飴色の瓶。蓋をあけると香ばしい香りがふんわりと食卓に漂い……私たちの食欲を刺激します。今回このコーナーで取り上げるのはごま油シェアナンバー1の「かどや製油株式会社」。かどや製油(株)のごま油は日本人に「調味料としてのごま油文化」を確立させ、私たちの食卓を豊かにしてくれているのです。そのごま油の誕生秘話からごま油の嬉しい健康作用、さらにはおすすめの使い方まで、かどや製油株式会社販売推進部の水嶋寛さんにお話しを伺いました。
150年の歴史を誇る伝統ある企業
かどや製油(株)が創業されたのは安政5年(1858年)。あまりピンと来ないかもしれませんが、その当時の日本といえばその5年前にペリーが来航し、徳川幕府が日米修好通商条約を調印しするなど江戸時代末期、幕末のさなかです。そんな時代にかどやは「加登屋製油所」として香川県の小豆島に誕生しました。 なぜ小豆島だったのか? それは有名な小豆島の手延べそうめんの歴史と密接に関係しているといいます。小豆島手延べそうめんの歴史はなんと約400年前の江戸時代初期に遡るそう。
地中海を思わせる小豆島の穏やかな気候は麺の熟成や乾燥に最適で、江戸時代の中期にはそうめん作りが盛んに行われるようになったといいます。そしてこの「小豆島手延べそうめん」を作るのに欠かせない材料の1つがなんとごま油だそう。小豆島のそうめん作りにはごま油が使用されるため、ツヤのある最高品質のそうめんとなり、現在も贈答品として人気です。
小豆島のそうめん作りと、ごま油製造の歴史には、密接な関係があったのです。
かどや製油(株)は小豆島の地でごま油とともに成長し続け、ごま油を作るための卓越した技術を育んできました。そしてもちろん現在も小豆島の工場で伝統のごま油作りが続けられています。
調味料の1つとして
庶民にも親しまれるように
それでも昭和30〜40年代くらいまでは、ごま油は主に天ぷら屋さんなどの業務用が主流で現在のように誰もが気軽に使える油ではなかったといいます。当時の加登屋では生産体制が家内工業の延長で、作れる量も少なかったそうです。しかし昭和32年(1957年)、加登屋は事業拡大を決意しさまざまなチャレンジに乗り出します。まずは大規模な工場を作り生産量を増やすこと、東京に本社を設置すること、販路を拡大するために全国の酒屋に委託販売をお願いすること……。
それでも最初は「ごま油の使い方がわからない」といわれることも多く、レシピを載せた小冊子を配布するなどの努力も惜しまなかったといいます。そして昭和42年(1967年)には、いまでこそ誰もが知っているあの飴色に輝く美しいフォルムの瓶に詰められた「かどや純正ごま油」が誕生します。瓶を持つ手が滑らないように細かい凹凸をつける工夫や、キッチンにそのまま置いておいてもおかしくないデザインはごま油を家庭に普及させることに貢献しました。 また昭和43年に日清食品から即席ラーメン「出前一丁」が発売された時、小袋入りの「ごまラー油」がつけられたことが純正ごま油の普及のきっかけになったともいいます。そして昭和51年(1976年)には「かどや製油株式会社」と社名を変更し、現在では日本だけでなく世界各地にごま油を送り出す大企業へと成長したのです。
異業種とのコラボや健康需要を受け、
世界でも愛されるごま油に
現在でも食用油の主力商品はやはりなたね油や大豆油などのサラダオイル。ごま油のシェアは決して大きいわけではありません。それでも醤油やソースのような調味料として家庭のなかで確固たるポジションを築くことのできたごま油は、今もなお成長し続けています。中でもかどや製油(株)のごま油の販売額は全国第一位。国内シェア約50%を誇ります。
今ではポテトチップスなどのお菓子や、佃煮・海苔などとのコラボレーション商品の開発、ねりごまやすりごま、サプリメントなど、商品開発にも力を入れごま油の魅力と無限の可能性を私たちに提案し続けてくれています。近年はアメリカやカナダ、東南アジアへの輸出にも力を入れているそう。今後はヨーロッパなどごま油がまだ知られていない国々への普及も期待されます。 このように確固たるポジションを築きあげた「かどやのごま油」だからこそ、一番大切にしなければいけないことは「伝統と品質、そして老舗のプライドを守り続けること」と水嶋さんはいいます。150年以上の伝統と歴史が与えてくれたものは「信頼」であり、その「信頼」を決して裏切ることなく「かどやブランド」をこれからも発展させていきたいと語ってくれました。